『海浜棒球始末記』

目黒次は『海浜棒球始末記』。1999年から2001年までオール讀物に書いたものを中心にして、文藝春秋から単行本になったのが2001年6月、文春文庫に入ったのが2004年6月。浮き球野球、ウ・リーグの顛末記ですね。まったくあなたはいろんなことを始めるよね。怪しい探検隊に映画制作に浮き球野球、全部そうだ。本の雑誌もそういう椎名の思いつきの一つだったのかもしれないけど。

椎名まあな。

目黒あのね、すごく細かいことだけど、最初に言っておきたいのは、冒頭近くに小学校の同級生たちと浮き球野球をする話が出てくる。そこにこういう文章がある。

栞と清子のさるすべりサカサコンビと、後からやってきたゴッドマザー幸子もよく活躍した。

この「ゴッドマザー幸子」は何の説明がなくてもいいよ。とにかくゴッドマザーなんだなとわかる。でも、「さるすべりサカサコンビ」って何なのよ。これ、何の説明もないんだ。なに、これ?

椎名学校が駅の近くにあったんで、いつもこの二人が駅前にあるさるすべりにぶらさがって遊んでいたんだよ。

目黒それは小学校時代の話ね?

椎名そう。だから、「さるすべりサカサコンビ」って名付けた(笑)。

目黒普通、その説明を付けるだろ。そのほうが小学校時代の一つの光景が浮かんでくるし、いい光景じゃん。それをどうして何もフォローしないで話をすすめるんだろ。ま、いいや。いまでも椎名は浮き球野球をやってるの? ちょっと前に離れてなかった?

椎名いまはまた復活した。こないだ、首都圏大会に出たばかりだよ。

目黒その首都圏大会は何チームが出場したの?

椎名21チーム。

目黒すごいよねえ。この本に書かれているチーム数は、北海道4、北日本10、首都圏21、西日本12、九州9で、合計が56チーム。日本全国にあるんだね。この数字はいまはどうなってるの? 増えてるの?

椎名いまは60チームを超えているんじゃないかなあ。一時期は77チームになったことがある。

目黒1チームはだいたい15人くらいだよね。

椎名だから総勢が1000人を超えることがある。

目黒いままで椎名が思いつきで始めた「遊び」のなかでは、いちばん壮大なんじゃないの?

椎名人数だけでいえばな。

目黒不思議なのはさ、奥会津とか、徳島とか、茨城、秋田、福岡と全国大会をやっていて、出場するのは必ずしも全チームではなくて、十チームから二十数チームまでそのときによって違うんだけど、200人から300人だよね。どこに泊まったんだろうって不思議だった。

椎名民宿に分散して泊まるのさ。

目黒どこに泊まったかをまったく書いてないんで、どうしたんだろうって不思議だった。昼飯は現地の奥さんたちがおにぎりを作ってくれたとか出てくるのに、宿泊については出てこないんだよ。

椎名テント派もいるし、あとはだいたい現地の市町村が協力してくれるから、町の会館とかを開放してくれるんだよ。

目黒ふーん。まったく書いてないから、何か事情があるのかと思った。

椎名ヘンなことが気になるやつだなあ。

目黒あと、面白かったのは、浮き球の数が足りなくなって、自主制作の案が浮上するくだり。成形型代百万、生産数五千、製造原価二八五円という見積もりまで取って検討する。これは結局、作らなかったんでしょ?

椎名うん。

目黒そうそう。徳島大会で優勝した「阿波ケンド団」のちょんまげ青年は不思議だよねえ。全国を放浪している青年で、ちょんまげ姿で着流しなの。たまたまこのときは徳島にいたので「阿波ケンド団」の助っ人として出場と。

椎名野球も結構うまかったなあ。

目黒この青年のその後の人生を知りたいなあ。どこでどうしているんだろ。

椎名そうだよな。

目黒文庫本のあとがきに、続刊の『棒球放浪 ウ・リーグ世界を行く』(仮題)にその後のことは詳しく書く、とあるんだけど、この続刊ってのは出たの?

椎名出たよ。これは面白いよ。スーパー・アジア・リーグを作ろうと、台湾韓国ニューギニアに攻めていくんだよ(笑)。

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